みみつねじんじゃ
三重県三重郡菰野町小島1688
当社の創祀については、詳らかにし難い。近世には、小島八幡と称し古来諸書にみえるように延喜式内耳常神社に比定されてきた。その八幡社を称したのは、社伝によれば応仁以来の兵火の難を避けるため八幡社と称した..
当社の創祀については、詳らかにし難い。近世には、小島八幡と称し古来諸書にみえるように延喜式内耳常神社に比定されてきた。その八幡社を称したのは、社伝によれば応仁以来の兵火の難を避けるため八幡社と称したという。史料の上からはっきりと耳常神社の名が見られるのは、文政一〇年(1827)の棟札で『奉造立耳常神社』とある。江戸時代を通じ近郷の氏神として人々の崇敬を集めていた。明治四一年には、字汰ケ谷鎮座の無格社御厨神明社、字神明社北鎮座の無格社、字汰ケ谷鎮座の無格社八坂神明、字弁天堂鎮座の無格社山神社、同字鎮座の無格社厳島神社をそれぞれ合祀した。大正4年(1915)には、三重県より神饌幣帛料供進社の指定をうけた。昭和21年(1946)社格廃止。同年宗教法人として届け出、現在に至っている。菰野町小島地区の伝統行事、小島太鼓があります。
《主》応神天皇, 《合》天照大御神,保食神,建速須佐之男命,市杵島姫命,大山祇神
延喜式内社
例祭を始め、その他年中恒例祭典18回
有り