たつおじんじゃ
富山県下新川郡朝日町三枚橋381
創立年月は不詳であるが、古くは薮南(やぶなみ)の社といい、その後に龍尾社と改名したと伝えられている。天文年中(1590年代)領主 館 弾正より社領として米30俵の寄進があったという。その頃、鳥居前(..
創立年月は不詳であるが、古くは薮南(やぶなみ)の社といい、その後に龍尾社と改名したと伝えられている。天文年中(1590年代)領主 館 弾正より社領として米30俵の寄進があったという。その頃、鳥居前(社殿南向きの鳥居)に官道が通じていて、政治、経済、文化の要所として繁栄していた。しかし黒部川の氾濫が激しく、愛本廻りにて官道が付け替えの節より、次第に寂れてきたと記録されている。 貞享2年の(1685年)の越中神主由来書付写之帳に、神明宮であったことが記されている。 宝暦9年(1759年)の高岡五社神主社家持官書上帳に、龍尾権現、神明宮、若宮八幡が記載されている。従ってこの70年の間に龍尾権現(素戔嗚尊)が勧請されたことになる。由緒等不詳であるが、御神体が虚空蔵菩薩の姿であることから、当時の石動山信仰(能登国天平寺)と関わりがあると思われる。石動山の勧請は300年前ぐらいに盛んに行われた記録があり、当社素戔嗚尊の勧請は1700年代の初め頃と推定され、明治維新や大戦後の神道指令を経て、今日に至っている。(神社由緒より)
素戔嗚尊 天照皇大神 大鷦鷯尊
村社
神明造
例祭10月15日