たけこまでら
宮城県岩沼市桜1丁目2−49
永承六年(1051年)身に黒染の式をまとい、あじろ笠をかぷった一人の旅僧が、おりから竹馬に乗って通りかかった里の童に。「武隈の松は何処にあるか」と尋ねた、童は、早速松の生えている所に案内してくれ、道..
永承六年(1051年)身に黒染の式をまとい、あじろ笠をかぷった一人の旅僧が、おりから竹馬に乗って通りかかった里の童に。「武隈の松は何処にあるか」と尋ねた、童は、早速松の生えている所に案内してくれ、道々間われるままに古今の和歌をひいて達べたが、その説明の立派さに。流石その道の追人といわれた能もうっとりして感心しているうちに。 章は武隈(竹駒)明神の森の中へ消えてしまった。その時、法師は、はじめて我にかえり、俄かに心付いて「さては今の童は明神の化身として、歌道に慢心して修業を怠っている我を縛めて下さったに違いない」と深く恥じ入り、報恩のために草の庵を明神の社の傍に結び、朝夕神に仕えその道の名人となった。この法師の仮に住んだ庵、のちに一寺となったのが竹駒神社の別当寺たる竹駒手である。明治三十八年光明院に寺号改称が詩可され、竹駒寺として現在の地に中興された
寶窟山
新義真言宗
真言宗 智山派
大日如来
奥の細道 みちのく路三十三ヶ所霊場、第二十三番札所、奥羽三十六薬師霊場 第四番札所