おうがはちまんじんじゃ
和歌山県橋本市胡麻生237
当神社の勧請年月日は不詳。 『紀伊続風土記』によると「郡(伊都)中の古詞五社」の一つであり、「天手力雄、気長足魂、住吉神社」を祭り、「村中十一ヵ村の氏神なり……即ち、比れ八幡宮なるべし……荘中の大..
当神社の勧請年月日は不詳。 『紀伊続風土記』によると「郡(伊都)中の古詞五社」の一つであり、「天手力雄、気長足魂、住吉神社」を祭り、「村中十一ヵ村の氏神なり……即ち、比れ八幡宮なるべし……荘中の大社なり」とある。 古くは、住吉大社の神々を祭っていたようである。 その後、坂上氏が本来からあった神社に八幡神を合祀したと思われる。 正平21(1366)年6月の鳥居板額に「八幡大菩薩」と見える。 『寛文雑記』に坂上氏人(坂上鷹養)が、石清水八幡宮を勧請した由が記され、社殿などを造営し、神主・別当などを置いて、神事に石清水八幡宮の祭式を執行したため、古儀の祭式が失われたとも伝えられている。 その後、文亀2(1502)年、坂上氏が社殿を再興したが、天正9(1581)年の春、織田信長の高野山攻めの時、高野山衆徒の攻撃によって焼き払われた。 天正14(1586)年、牲川海部が、これを再興造営したと伝えられている。 近世には、胡麻生(当社の楼門を御門と呼び、後、胡麻生に転訛)、橋谷、慶賀野、柱本から、妻、古佐田、橋本など11ヵ村の氏神となり、毎年8月15日には、「放生会」という古い祭礼を行い、村々から山車が出された。 明治5(1872)年村社に列格。 明治40(1907)年、祭典日を陽暦に改正し、例祭日を、10月15日と決定する。 昭和3(1928)年 郷社に列格。 例祭(秋まつり)には、氏子地域より九基の山車(地車)が集結、境内を埋め尽くす。 時勢の変遷にかかわらず、氏子中及び近在の崇敬者の信仰厚く、「ごもうの八幡さん」と呼ばれ、参詣人は絶えない。(和歌山県神社庁HPより)