しおつじんじゃ
滋賀県長浜市西浅井町塩津浜547
当社創立の年代は詳らかではないが延喜式内社で既に神威顕著の古社たるを知る。古伝によれば上古この地の志波谷に塩池あり。ささやかな池ながら塩水間断なく湧出し、これを汲んで製塩し敢えて他からこれを求めず。..
当社創立の年代は詳らかではないが延喜式内社で既に神威顕著の古社たるを知る。古伝によれば上古この地の志波谷に塩池あり。ささやかな池ながら塩水間断なく湧出し、これを汲んで製塩し敢えて他からこれを求めず。たまたま意富々杼王この地を逍遥し塩池を見給い「小池の潮汐を製塩せんよりは何ぞ外海に塩を求めんや」と問い給う。一竈丁「吾等は代々遠祖塩土翁の遺訓を奉じ製塩し他に求めず」と答う。王これを深く感じ、不日里人を助け塩土翁を鎮祭せられたりと、即ち之が塩津神社であり、社名は地名に因み地名は祭神名に因むと云う。塩池は中古大震災の爲埋没し潮汐も又出でず、製塩に用いた大釜は湖底に埋めたりと伝う。この湖岸を大辛と云い今も小字名として現存す。 この地は會て西浅井郡ぶ属し当社はその半郡の総社として広く崇敬せられた。社地の背後には鬱蒼とした塩土山の神林深く又社前は入江の琵琶湖に面し四季の風光変化に富み、又湖上航行の要港として王朝時代以降文人武将の往来しばしばあり、又当社を崇敬さらる。わけても和気仲世近江呂介に任ぜられるや数度当社に参籠して霊示の随に譽田別神を境内に瀬織津姫神を境外地に奉祀された。文和元年、足利高氏(尊氏?)の子義詮、俊光厳帝を奉じ当社に参籠し、幕を張り供奉の人々を犒ったと云う。当地の塩津城主熊谷兵高、熊谷治左衛門尉直久、熊谷直純等何れも当社を産土社として常に崇敬した。元亀元年火災に罹り殿舎悉く鳥有に帰し現在の社殿は元禄初期の作なり。明治17年郷社に列す。尚当社中古「海北の宮」の別称があった。(神社由緒書より引用)
西浅井町塩津浜(にしあざいちょうしおつはま)にある神社。
○主祭神 塩土老翁神(産業開発、交通安全) ○配祀神 彦火々出見尊、豊玉姫尊(安産守護)
郷社
北海の宮
4月18日
無料
無し