せいじはらじんじゃ
三重県いなべ市藤原町鼎1186
勧請年月不詳。『文政七年(一八二四)村明細帳』に、「清司原村氏神牛頭天王、火産靈神 深尾村 氏神神明宮、山神一。」とある。 『明治五年(一八七二)の村明細帳』には「清司原村 清司原社 深尾村 砂原神..
勧請年月不詳。『文政七年(一八二四)村明細帳』に、「清司原村氏神牛頭天王、火産靈神 深尾村 氏神神明宮、山神一。」とある。 『明治五年(一八七二)の村明細帳』には「清司原村 清司原社 深尾村 砂原神明社、山神一とある。『員弁雑誌』には、「清司原 牛頭天王社 村の産土神也、例祭六月一七日及び九月六日也。山神 村の内に在り、神木の大杉見事なり。深尾 神明宮 村の産土神なり、例祭八月二三日。山神あり」とある。『員弁郡郷土資料』では、「村社清司原神社 中里村大字鼎字中村にあり、須佐之男命を祀る、勧請年月不詳、元録七年(一六九四)再建す。砂原神社 中里村人字鼎字深尾にあり、天照大御神を祀る、勧請年月不詳」とある。
《主》天照大神 《合》須佐之男命 火産霊神 大山祇神 大国主命
清司原神社のスギ 鼎塚 (1600年の関ヶ原合戦で西軍の島津軍が敵中突破して薩摩へ帰還する際、島津の戦死者を地元の人々が弔った塚とされる。)