古市場恵比須神社は宇太水分神社境内の南東部に配し、大主大神蛭子命之大神をお祀りしています。当社の創基、由来は不明でありますが、約千年前、古名、玉造部、その後鎌倉期当初、西殿荘(現地名古市場)の居屋舗川原出に祀られていました。この地の前側には、当時川が流れており、この川を挟んだ場所から、地蔵の辻までの約二百mにわたる間に、毎月三日と八日に市が開かれ、当時はとても繁盛し、実に当社はこの市場の守護神として祀られていました。
天正元年(1573)に、郡主秋山右近直国が、当地で営まれていた三、八市場を、現大宇陀松山に移し、城下町の繁栄を計った。
その後元和年間(1615~1624)織田長次男織田信雄(信勝)が松山藩初代※
主として治める際、当地に祀られていた恵比須神社を松山城下に移し、城下町の一層の繁栄を計った。かくして西殿荘には、古市場の名称だけが残りました。
大正十年に、米谷勘治郎氏より、旧社地の前方に当たる、同氏所有地六十七丼を提供せられ、大正十一年、西宮神社より分霊を授かり、古市場恵比須神社を復興しました。
本殿は石積基壇の上に、春日造りの社殿で、屋根は厚板葺きで、神門を建て、端垣を巡らせています。
大正十一年旧正月七日に無願神祠として奉賛せられた。
大正十二年二月、神門前に二基の灯篭が、当神社氏子有志により奉納され、その後、大正十四年、中尾竹治郎氏により、石の鳥居、狛犬が奉納されました。
当社は旧の正月七日を例祭と定め、古市場商工業者の方々から、神願行事の積極的な協力を受けて、神威がそろった。
昭和二十一年、宗教法人として、宇太水分神社末社として登録された。
昭和五十四年、古市場恵比須神社奉賛講の努力により、現在の社務所が建造された。
令和五年二月、当社の再興百周年を祝し、当社奉賛講全員の協力の下、古市場恵比須神社の縁起を記すものである。