えいしょうじ
三重県伊勢市朝熊町1212
金剛證寺の末寺で、文明年間(1469-87)松禅の開基という。境内に、秋田城之介実季の墓、及び福原右馬助の墓がある。 秋田城之介は、奥州秋田家の祖、国政不直の罪を蒙り、この地に謫居して死亡。和歌を..
金剛證寺の末寺で、文明年間(1469-87)松禅の開基という。境内に、秋田城之介実季の墓、及び福原右馬助の墓がある。 秋田城之介は、奥州秋田家の祖、国政不直の罪を蒙り、この地に謫居して死亡。和歌をはじめ、書道、茶道に通じ、又、薬方にも詳しく、岩城万金丹の名もここから出たといわれている。墓碑には、「高乾院殿前侍従厳梁空大居士」「万治二年己亥(1659)十一月廿九日」「安倍実季入道」とある。又、傍には、その幼女、侍女の墓石もある。 福原右馬助は、石田三成の女婿であったが、慶長五年(1600)関ケ原の合戦で敗れ、家来と共に朝熊に逃れて来たが、ここで果てたと伝えられている。墓碑には、「一任殿順積道蘊禅定門 濃州大垣城主福原右馬助」「慶長五年十月二日」とある。
秋田城之介、福原右馬助の蟄居で有名。両名の墓がある。
石城山
臨済宗
南禅寺派
文明年間(1469-87)
釈迦如来
松禅の開基
近鉄 朝熊駅より、徒歩4分
無料
無し