べんざいてんふくじゅどうひゃっかんじま
広島県福山市鞆町弁天島
島内には航海の守護神である弁財天を祀る堂宇があり、福寿堂と呼ばれている。これは、備後福山藩水野勝俊の家臣で鞆の初代奉行だった荻野重富(1578年 - 1652年)により再建されたものである。再建年代..
島内には航海の守護神である弁財天を祀る堂宇があり、福寿堂と呼ばれている。これは、備後福山藩水野勝俊の家臣で鞆の初代奉行だった荻野重富(1578年 - 1652年)により再建されたものである。再建年代は正保元年(1644年)とされる。 鎌倉時代、近江の侍が弁天島近くの海に家宝の太刀を落としてしまいました。侍は、「銭百貫をほうびに出すから太刀を探してくれ」と漁師たちに頼みました。しかし、フカ(サメ)がいると恐れて誰も海に入ろうとしません。「この地に勇気あるものはいないのか」と侍がののしると、若者が海に飛び込みました。太刀は見つかりましたが、若者はフカに足を食い取られて命を落としてしまいます。侍は渡すはずだった銭百貫で若者を弔い、弁天島に11層の石塔婆を建てました。この石塔婆は、年代が判明する石塔の中では県内最古のもので、県の重要文化財になっています。 弁天島は、弁天様を祭る祠があることからその名がついたとされていますが、「百貫島」という別名もあります。この百貫島の名前は昔から伝わる伝説に由来します。
JR福山駅南口から鞆鉄バス鞆線で「鞆の浦」下車 徒歩5分(島には渡れません)