はちまんじんじゃ
石川県七尾市八幡町ラ2
当社の創建は不詳ですが、第56代清和天皇(858~876)の御代、勅して一国一社の八幡神社を創建し給うによる、能登国八幡神社の惣社で、御歴代の重事あるごとに奉詔勅願あり、国司の神領の寄付など社地広大..
当社の創建は不詳ですが、第56代清和天皇(858~876)の御代、勅して一国一社の八幡神社を創建し給うによる、能登国八幡神社の惣社で、御歴代の重事あるごとに奉詔勅願あり、国司の神領の寄付など社地広大にして、往古より北国の名社として 正八幡宮と呼称された。 国司畠山城主、毎年旧8月13日の祭事に騎馬で参拝し、末社の戸隠社(旧毘沙門天堂)広前で能・舞楽が奉納され、放生会と称し、神職は湯の花を捧げ、僧侶は柴刀護摩を焚き、氏子は勿論、近郷の老若男女、鯉鮒鯰などを持ちより、御手洗池へ放つを競ったと云われる。 永禄元年(1558)3月、畠山義綱、社殿を改造し、同時に改造領地四丁を寄付す。 天正年間(1573~1591)まで社僧の善野寺があり、天台宗聖護院の堂塔や畠山城主の寄付による、神器・宝物等数多くあったが、天正の兵乱に悉く焼失し、その礎跡があると伝えられ、古鏡壱面、大和錦の戸張壱枚が残っている。 その後、元禄12年(1699)本殿を改造し、文化2年(1805)8月、拝殿を改造す。 八幡村の御領所地に末社の戸隠社があったのを本社に合祀。明治初年頃まで正八幡宮と称し、その後、現社名に改称。 明治16年6月12日郷社に加列される。
息長足姫命、譽田別命、比咩大神、手力雄命、天照大御神、豊受大神
郷社
無し