ほんがくじ
青森県八戸市十一日町57
八戸藩二代藩主南部直政の時世、天和2年に家臣の八戸藩士池田先右衛門宗晴の開基とされ、他に外来宋任の大坂屋初代六兵衛がかかわっていたことが大坂屋の系譜「永世紀念禄」にみられます。開山は羽後国秋田六郷善..
八戸藩二代藩主南部直政の時世、天和2年に家臣の八戸藩士池田先右衛門宗晴の開基とされ、他に外来宋任の大坂屋初代六兵衛がかかわっていたことが大坂屋の系譜「永世紀念禄」にみられます。開山は羽後国秋田六郷善証寺十三世浄心の子、五男南柳という名の僧とされていますが(新撰陸奥国誌)、「御領内寺院来由」によりますと盛岡願教寺の七男覚翁(學翁)とします。八戸藩日記の元禄14年6月条に「此度恪翁(覚翁)事、御目見ニ付て本寺之書付被指上、則本学寺ニ被仰付候」とあります。八戸藩初代直房に仕えた家臣池田先右衛門宗晴は熱心な浄土真宗の信者で、直房の許しを得て現在地へ小庵を建立し、これが本覚寺となりました。
浄土真宗
本願寺派
阿弥陀如来
有り