いつくしまじんじゃ
山形県寒河江市八幡町4
創立は、非常に古くて詳しくはわかりませんが、元「弁財天宮」 といい、今西三郎兵衛が社務を勤めておりました。寛文十二年 (一六七二年)菅井彌五平が代わって奉仕し、それから二百七十五年(明和九年・一七七..
創立は、非常に古くて詳しくはわかりませんが、元「弁財天宮」 といい、今西三郎兵衛が社務を勤めておりました。寛文十二年 (一六七二年)菅井彌五平が代わって奉仕し、それから二百七十五年(明和九年・一七七二年二月再建)の間、祭典を盛んにしておりました。
明治四年(一八七一年)、官令により社地返上、厳島神社と改称し、神地下流の土地の守護神、町内の農工商の守護神として信仰されておりました。明治十二年頃までは社殿もありましたが、 その後、社家も衰退し、社殿も亡失して小石宮を残すのみとなりました。
昭和二年(一九二七年)崇敬者の尽力により大石宮を建立、昭和二十六年五月、菅井彌五平の子孫、菅井半五郎(溝延八幡宮司) 八十四才の高齢のため、将来を案じ、御神体及び書類一切を大沼長兵衛、山本文一郎に引き継ぐ。その後も信仰を集め年々崇敬人も多くなってまいりました。
昭和四十二年五月崇敬者の要望に応えて、山本文一郎発起人代表となり社殿再建に着手、昭和四十五年(一九七〇年)三月竣工それ以来、八幡町の方々を中心に、毎年五月第三日曜日に、家内安全、商売繁盛の神様として祭典を行っています。
市杵島比賣命
不明
無料
無し