きらじんじゃ
高知県高知市春野町西分字増井
長宗我部元親の弟・吉良親貞の子で元親の甥っ子であった吉良左京進秦親實は、元親の嫡男の戦死による跡継ぎ騒動に諫言したことで元親の逆鱗に触れることになり、天正16年(1588年)10月、親実は比江山親興..
長宗我部元親の弟・吉良親貞の子で元親の甥っ子であった吉良左京進秦親實は、元親の嫡男の戦死による跡継ぎ騒動に諫言したことで元親の逆鱗に触れることになり、天正16年(1588年)10月、親実は比江山親興と共に切腹を命じ、さらに親実の重臣・親族で名のある七名も自害させた。 その後、親実ゆかりの地で八名の主従の亡霊の出現と共に様々な災いが起こるようになり、供養を行なっても治まることがなかった。 その後、寛文6年(1666年)、土佐山内家は親実の墳墓を改葬し、その上に親実を祭神として新たに社殿を建てたのが始まりで、本殿脇にはこの騒動で亡くなった七名を祀る七社明神が置かれ、この七名を以って「7人みさき」と云われております。
吉良左京進秦親實公
寛永三年(1626)
木塚明神 明神さま
春季大祭 旧2月2日 夏祭 旧7月1日
境内自由
無料
15分
なし