ひらまつじんじゃ
鹿児島県鹿児島市吉野町10691
慶長四年三月、十六代島津義久公は宮原左近将監をして、歳久公御自害の地に竜水山心岳寺を建立され、公の御霊を供養される。 心岳寺は福昌寺の末寺にして曹洞宗。同寺十八世の代賢和尚を勧請し、抱巌竜強和..
慶長四年三月、十六代島津義久公は宮原左近将監をして、歳久公御自害の地に竜水山心岳寺を建立され、公の御霊を供養される。 心岳寺は福昌寺の末寺にして曹洞宗。同寺十八世の代賢和尚を勧請し、抱巌竜強和尚を開基とする。 明治三年廃寺となり、その跡に平松神社を建立する。境内隣接の墓地には歳久公及び殉死者二十七名のの墓石の他、歴代僧侶や関ヶ原の合戦に十七代太守島津義弘公に属して活躍した国老川上四郎兵衛忠兄の墓石がある。 現在、境内は心岳寺跡として市の「史跡」に指定されている。
島津歳久公
なし