関東平氏の始祖 平恒望王が創建と伝える古社 鎮座地である大内沢は、村の北部に位置し登谷山(とやさん)をはじめとする外秩父山地の山々に囲まれた閑静な山里である。当社の境内は地内に源を発する白石沢と大内沢川の合流点にあり、樹齢数百年と言われる神木をはじめとする数十本の老杉が創建の古さを感じさせる。 社蔵の古文書には、大内沢の地名及当社の由緒が記されている。 これを要約すれば、「恒武天皇の曾孫、初めて平氏を賜った高望王(たかもちおう)の弟である恒望王(つねもちおう)は、太宰権帥(だざいのごんのそつ)であったが讒言(ざんげん)にあい、延暦年間(782~806)に武蔵国に左遷された。当時の武蔵国の大部分は広野であり、恒望王はなかなか居を定め得なかったが、やがて比企・秩父の両郡に挟まれた山里に住し、その地を武蔵の大内と名付け、一祠を設けて厚く信仰する天明玉命を祀った。これが当社の創建である。」となる。 以来、村の鎮守として祀られ、後には地内の正善寺(しょうぜんじ)にあった金剛童子社が境内に勧請されたが、同社は神仏分離により、再び正善寺境内へ戻された。しかし、現在でも同社を奥社と呼び、当社の例大祭斎行前には、必ず出向して祭典を執り行なうところに往時の名残を留めている。 一間社流造の本殿は、明治30年(1897)に再建されたもので、 彫刻師の佐藤正貫が2年掛かりで謹刻した見事な彫刻が施されており、昭和59年(1984)に村指定文化財となっている。