ひじりしゃ(しばられまつ)
神奈川県川崎市高津区向ケ丘139-10
昔、上作延南の原に聖松という大きな曲がり松がありました。 相模の国の或る六部(66部の経典を寺々に修める修行僧)が、諸国巡礼の折、この地で百日咳に苦しみ亡くなったという。 又、一説には、この地で..
昔、上作延南の原に聖松という大きな曲がり松がありました。 相模の国の或る六部(66部の経典を寺々に修める修行僧)が、諸国巡礼の折、この地で百日咳に苦しみ亡くなったという。 又、一説には、この地で穴の中にて鉦をたたき、念仏を唱え修行をしていたが、「この鉦の音が止んだら死んだと思ってくれ」と言い残し入定したといわれる。 その跡に植えたのが、この聖松であるいう。松の樹勢は、高さ5メートル根廻り3メートル余りある大木となり、枝葉は相模の方向を向き生い繁っていた。明治20年ごろ落雷にあい、焼け落ちて今日の姿となったが、残る枝ぶりは今も往年の面影をとどめている。近郷の人々は、子供が百日咳にかかると素縄を左に編んで、聖松に縛り願をかけ、病が治ると、右縄を編み幹に縛り直して願ほどきをしたと、言われる。 その由に、この松を別名「しばられの松」という。 社殿がある。又、このしばられ松は古くより稲毛領の七本松の一つとされ、百合ヶ丘の「「弘法の松」、久地の「綱下げの松」などと共によく知られた松である。 稲毛三郎重松が鎌倉に赴く途中、馬の鞍を掛けた「鞍掛けの松」とも言われている。 民俗信仰の対象としても江戸時代、大変崇められ、親しまれたと言われている。平成12年、聖社を新築建立したのを記念してその縁起由来の伝聞を要約してここに記す。
白幡大神の兼務社
平成12年 (2000年)
東急バス (向01) しばられ松バス停から徒歩1分
無し
10分未満(5分程度)