あまみやじんじゃ
熊本県球磨郡相良村大字川辺
文明4(1472)年、人吉球磨地方は大変な干ばつに見舞われました。5月に入っても全く雨が降らず、小川や溝の魚は死に絶え、6月には谷川がひからび、畑の作物はおろか、雑草から山林の樹木まで枯れてしまうほ..
文明4(1472)年、人吉球磨地方は大変な干ばつに見舞われました。5月に入っても全く雨が降らず、小川や溝の魚は死に絶え、6月には谷川がひからび、畑の作物はおろか、雑草から山林の樹木まで枯れてしまうほどのありさまでした。7月にはいよいよ川の水さえ無くなり、時の領主相良為続(ためつぐ)の心労は並大抵のものではありませんでした。為続は、さまざまな寺社に祈願を頼み、自らはこの雨宮神社に直接参詣することにしました。そして一心に祈りをささげました。また、為続はこの時「名も高き木末の松も枯れつべし なお恨めしき雨宮かな」「千早ぶる神の井垣も枯れ果てて 名も恥ずべき雨の宮かな」と雨宮神社を皮肉るような歌を詠んだと言われています。ところが、祈りが通じたのか、これらの歌に神が怒ったのか、一転して大雨となり、見る間に川も濁流となって流れていったそうです。
この故事以来、雨宮神社は雨ごいにご利益があるということで、現在でも干ばつの時には多くの人が参拝に訪れます。
三産(しゃんしゃん)くぐり
雨宮の森には、「三産くぐり」と呼ばれる約2mの長さの巨石のトンネルがあり、そこをくぐると、「幸せを産む」「安産」「金を産む」というご利益があるとされています。 ※トップ画像を参照
上記は、熊本県庁HPより引用 昭和60(1985)年に熊本緑の百景に選定