ゆはらやまはちまんぐう
山口県岩国市小瀬757
往古より宇麻斯阿斯訶備比古遅神を祀り、平安時代の天徳二年(九五八)に山城国石清水八幡宮より神霊を郷士湯原常弘が勧請して合せ祀る。戦国時代の永禄年間(一五六〇~)に火災があった。江戸時代の正保三年(一..
往古より宇麻斯阿斯訶備比古遅神を祀り、平安時代の天徳二年(九五八)に山城国石清水八幡宮より神霊を郷士湯原常弘が勧請して合せ祀る。戦国時代の永禄年間(一五六〇~)に火災があった。江戸時代の正保三年(一六四六)・延宝九年(一六八一)・安永年間(一七七二~)に再建する。氏子区域は、もともと周防の東端より安芸国佐伯郡西部にかけて広がっていたが、藩政時代には旧小瀬村のみになる。しかしながら、岩国藩の東方鎮護の社として領主領民から深く崇敬されていた(旧村社)。社有林六町七反余のうち、約五町歩は先々代宮司が明治三十八年(一九〇五)に、幾多の困難を克服して漸く官有林の払下げに成功し、明治末年に植林する。また、二町歩は先代宮司が昭和三十二年(一九五七)、市有林の払下げを受け、昭和五十四年(一九七九)に四〇〇〇本の桧を植林する。そのため、四〇〇年以上の大木と、明治・昭和の造林などで、近郷には珍らしい桧樹林を形成している。