せんとくじ
奈良県吉野郡大淀町今木1393
役行者の創建で、南北朝時代に戦火に巻き込まれ、現存する仁王門・石垣・欄間等が古を偲ばせる。また、近世まで修験者の最初の行場「入峯行場」として栄え、吉野山・大峯山修行には欠かせない寺であり、仁王門には..
役行者の創建で、南北朝時代に戦火に巻き込まれ、現存する仁王門・石垣・欄間等が古を偲ばせる。また、近世まで修験者の最初の行場「入峯行場」として栄え、吉野山・大峯山修行には欠かせない寺であり、仁王門には延宝5年(1677年)の棟札が残っており、門内に安置されている金剛力士像には、文禄4年(1595年)、一夜のうちに泉州堺の大寺より天狗が両脇に抱えて飛来したという伝承がある。 また、かつて存在した梵鐘の銘に「権現応跡、小角草創、洪基歳雋再興至維持明暦三年本願海雄」と記されていたと云われ、この頃に山門と権現堂が再建されたと推察されている。 境内には500年以上経過した石佛が15体あり、永禄12年(1569年)に備中国の女性(名前不詳)が奉納したものと云われている。 権現堂の脇を登ると薬師堂があるが、そこにあった薬師如来は泉徳寺本堂内に安置され、本尊となっている。 古事記の安康天皇の頃に白彦の王と黒彦の王と円の大臣が初瀬大王(後の雄略天皇)に殺されたことが出ているが、この三人の陵墓がこの寺の川向いにあって、その菩提寺として今来寺があったというが、それが泉徳寺の前身であろうと思われる。菊の紋が残っている所からみれば相当な格式を持っていたのであろう。
天狗山
真言宗
高野山派
薬師如来
役行者
ぼけよけ二十四地蔵霊場 第12番札所