ほこしまじんじゃ
宮崎県日向市細島353
永正年中(1504~21)、伊東三位入道が、大隈正八幡の分霊を旧富高村日知屋字平野に勧請奉祀していたが、大永七年(1527)伊東祐国が日知屋船岡山の合戦に敗れたため、現在の鎮座地細島に移し奉った。旧..
永正年中(1504~21)、伊東三位入道が、大隈正八幡の分霊を旧富高村日知屋字平野に勧請奉祀していたが、大永七年(1527)伊東祐国が日知屋船岡山の合戦に敗れたため、現在の鎮座地細島に移し奉った。旧称八幡神社といい、後年徳川幕藩体制となり飫肥に封ぜられた伊東氏によって代々保護され、江戸への参勤交代のため細島港より上下する毎に、必ず当神社に参拝、奉斎して、祭典を執行したと言われている。神社付近の字を今なお「八幡の上」社下の市街を「八幡町」と称するのも、神社を中心にして町名を名づけたものである。 宝暦二年(1752)壬申十一月十七日の大火のため、神社の宝物、縁起記録等焼失した。ただ僅かに神職児玉家の旧系譜に「羽柴美濃守公薩州御出陣の時児玉播磨守正直に可為神職」云々の一句があり、更に天和二年(1682)児玉長谷の奉れる『口上記録控』によって、神職児玉家が累代宮司として奉仕して、その系譜を今に残していることを知ることができる。棟札によれば、元治元年(1864)六月、安政三年(1856)正月に再興されている。 なお、昭和天皇ご訪欧のとき海路の平安を祈願し奉り、記念として社殿を造営した。初め八幡神社と称していたが、大正十五年四月愛宕、大御の両神社を合わせて鉾島神社と改称した。また延宝三年(1675)六月十一日銘の鐘を有し、それには「日向国細島八幡宮」と記されている。
日向市北東部、細島商業港に面し、入江を見渡す丘に鎮座する。航海安全の神として尊崇され、地元の人々に親しまれている。
誉田別命
旧村社
大永七年(1527)年月未詳
本殿(流造)4坪 拝殿(入母屋造)18坪
神武さま御東遷ゆかりの神社
JR日向市駅より車で約10分
有り