くがじんじゃ
福岡県遠賀郡水巻町大字古賀1-11-26
神社創建時期は不祥であるが、社伝によれば神功皇后征韓の途次、筑紫岡湊に御滞在の折、当古賀村に三神鎮座を聞召し、今の字惣仙洞にて釣り上げられた鱸を蓼の穂と共に神前に供えられ征討の勝利を祈られたとある。..
神社創建時期は不祥であるが、社伝によれば神功皇后征韓の途次、筑紫岡湊に御滞在の折、当古賀村に三神鎮座を聞召し、今の字惣仙洞にて釣り上げられた鱸を蓼の穂と共に神前に供えられ征討の勝利を祈られたとある。 この遺風が穂蓼の神事である。これは神前において蓼の葉を刻みて顔面に塗り皮膚への滲み具合によって其歳の豊凶を占う神事であるが、現在は途絶えている。 この神社は中古の御世古賀、朳、頃末の三村の産土神として広く崇められ、又、筑前山鹿城主、麻生氏の出城が久我嶽の山頂にあり崇敬殊に厚く郡中七大社の一つであった。 当時本社は区の南方久我嶽の麓にあったが、落石による社殿の破壊度々なるを以て三村に分祀される事になり、頃末には元亀二年(1571年)に、朳には天正十六年(1588年)社殿が設けられた。同時に本社も字亀の甲に御遷座申し上げた。 又宝暦九年(1759年)それ迄伊豆神社と称していたのを久我大明神と改めた。 明治四十三年本社を今の地に御遷座、併せて豊前坊山にあった高住神社(旧豊日別神社)及相殿疫神斎字京原鎮座の多賀神社字惣仙洞鎮座の貴船神社及各神社の境内社を合併合祀した。 この大神は古来安産の神様として崇められ古賀村には難産の煩いがないという。
(境内案内板より)
・彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと) 山幸彦 神武天皇の祖父 ・武鵜葺不合尊(たけうがやふきあえずのみこと) 神武天皇の父 ・玉依姫命(たまよりひめのみこと) 神武天皇の母 (合祀) ・軻遇突命 ・大直日命 ・神直日命 ・八十禍津日命 ・宇賀神 ・地主神 ・稚産日命 ・伊弉諾命 ・菅原道眞 ・闇龗神 ・ 罔象女神 ・猿田彦命 ・伊都岐嶋姫命
村社
無料
有り