かんのんじ
神奈川県大和市下鶴間2240
當山の本尊は、慈覚大師御作の十一面観世音菩薩と伝えられている。第117代 後桜町天皇の宝暦年間(西暦1751年~1763年)に當山十三世 法印宥仁阿闍梨は、或る時霊夢を感じられた。それは瀬谷村の中..
當山の本尊は、慈覚大師御作の十一面観世音菩薩と伝えられている。第117代 後桜町天皇の宝暦年間(西暦1751年~1763年)に當山十三世 法印宥仁阿闍梨は、或る時霊夢を感じられた。それは瀬谷村の中屋敷の高橋是右衛門家に伝わるその十一面観世音菩薩自ら夢まくらに立たれ、観音寺に奉安せよとのお告げであった。同じお告げは是右衛門にもあった。 ここに深見村の有力なる篤志家 小林九兵衛は、大いに勧請の事業を扶(タス)け、自らが大施主となり當山の境内に一宇(イチウ:一つのお堂)を建立した。また、当時の地頭(ジトウ)江原公も供養料として米を寄進し、当所艮(ウシトラ:丑寅)の鎮護として人仏二法の興隆を祈請(キセイ:神仏に祈り、加護を請うこと)された。 その後、大火が地域を焼き寺も炎上したが、観音堂だけが不思議にも火難を免れた。よって人々はその奇瑞(キズイ:めでたいことが起きる前兆として生じる不思議な現象)に欣仰讃歡措く能はず(キンコウサンタンオクアタワズ:大変喜び感激することを抑えることが出来ない)、遂に迎え奉り爾来(ジライ:それ以来)當山の主尊と仰ぎ、寺号を今の観音寺と改めるに至った。 古老の話によると、旧来は、地蔵菩薩が本尊で真言院と言われたというが、その寺号の縁由(エンユウ:そうなった由来やきっかけ)は、未詳である。 また、當山は青山往還(厚木大山街道、現国道246号の元になった道)の赤門寺とも呼ばれ遠くは川崎の稲毛方面からも参詣があった。 宝暦9年(西暦1759年)、新西国三十三札所、武相卯歳観世音札所 第一番となり、世間の信仰今に渝(カ)わることなし。 恵心僧都の御作と伝えられる一木造りの薬師如来を祀る。武相寅歳薬師如来霊場 第二十一番。
金剛峯寺を総本山とする高野山真言宗のお寺 秘仏の十一面観世音菩薩は、12年に一度卯歳の4月に開帳される。
鶴間山
真言宗
高野山真言宗
十一面観世音菩薩
不詳
頼満和尚
鶴間山 観音寺
武相卯歳四十八観音霊場 第1番札所 武相寅歳薬師如来霊場 第21番札所