にいかわじんじゃ
滋賀県野洲市野洲69
社伝には、天武天皇が大友皇子と野洲川を隔てて皇位を争われた際、勝利祈願をされ成就し即位された。朱鳥元年、造営になったと伝える。後、貞観十一年従五位上仁和元年正五位上に加階された。延期五年には、式内社..
社伝には、天武天皇が大友皇子と野洲川を隔てて皇位を争われた際、勝利祈願をされ成就し即位された。朱鳥元年、造営になったと伝える。後、貞観十一年従五位上仁和元年正五位上に加階された。延期五年には、式内社に列せられた。後、野洲川が度々氾濫し社殿、境内等は、その被害を受け荒廃するに至ったが、その度ごとに、再興の篤志が寄せられた。寛永三年、天領代官芦裏観音寺の奉行で、本殿、拝殿等再興されたが、宝暦元年、火災のため焼失、宝暦三年再建に着工、同四年に上棟、今日に至っている。正徳四年、吉田神道ト部兼敬から正一位新川大明神の宗源宣旨を授けられている。当社は、野洲の町衆、船仲間等の崇敬厚く現在に至る。 (滋賀県神社庁より)
須佐之男命 〔配祀神〕大物主命 奇稲田媛姫
一間社流造 間口一間 奥行一間
有り(2台)