社伝によれば、古墳時代の武烈天皇の時(四九八~)、大野村は開拓の当初であって九三戸の家があった。その氏神として、天照皇大神を勧請し神明宮と称して祀った。其の後鎌倉時代の建保年中(一二一三~)、豊前国宇佐八幡宮を勧請合祀して八幡宮と称する。このためか、今尚附近に神領という地名もある。江戸時代の天保十三年(一八四二)、社殿を再建して、明治六年(一八七三)には社格も郷社に列せられる。昭和四十六年(一九七一)の田頭祭御神幸中、不幸にも災火に罹り御社殿が全焼する。同四十九年(一九七四)、社殿の再建がなり、遷宮祭を斎行する。