あわじのみささぎ
兵庫県南あわじ市賀集
淳仁天皇:天武天皇の皇子である舎人親王の七男で25歳で即位。 皇太子の道祖王を先帝の孝謙天皇(女帝)と藤原仲麻呂(恵美押勝)が廃し、大炊王を立太子。 孝謙天皇は大炊王(淳仁天皇)に譲位し上皇とな..
淳仁天皇:天武天皇の皇子である舎人親王の七男で25歳で即位。 皇太子の道祖王を先帝の孝謙天皇(女帝)と藤原仲麻呂(恵美押勝)が廃し、大炊王を立太子。 孝謙天皇は大炊王(淳仁天皇)に譲位し上皇となるも、藤原仲麻呂(恵美押勝)と共に実権を掌握する。 ところが、保良宮滞在中に病みがちとなった孝謙上皇は看病してくれた弓削道鏡を寵愛するようになり皇族外から天皇にしようとする。 上皇から裏切られた藤原仲麻呂(恵美押勝)は実権を取り戻すため恵美押勝の乱を起こしたが失敗。淳仁天皇は乱に加担しなかったが、藤原仲麻呂が後見人だったことから廃位され、764年淡路国へ流された。翌765年に逃亡を図るも確保され病死したとなっているが、実際は殺害されたという。長く歴代天皇には列挙されず「廃帝」「淡路廃帝」と呼ばれていたが、明治3年に諡号勅定され、第47代天皇となった。 孝謙上皇は淳仁天皇を廃した後、称徳天皇として重祚している。
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