今から約1500年前の文政9年、小島村市場の内藤才丘という信仰心の篤い人が慈母の菩提を祀るため、大師像を作り同村の瑞岩寺に奉祀した。明治44年、温良院14代住職の請により、大師像は同村黒田の寺院に奉遷し帰依されたが、その後また元の瑞岩寺に奉帰さるた。しかし養老の養老公園の守護と発展を願う人から弘法大師像のご安置を懇原され、大師像は再び瑞岩寺を離れることになった。神経痛で足腰が立たなかった人が日夜南無大師遍照金剛と一心一向に帰依されたところ、不思議なことに元の健康な体に戻り幸福な生活を送ることができたということがあったといわれ、その霊験あらたかな話を聞いて、お参りする人の数も増えていった。昭和14年、大師奉帰の縁から、再度瑞岩寺へ奉遷。信者の立木多満は長い間大師を一心に信心していたが、ある夜、夢枕に現れた大師の「市場は有縁の地なり、吾をその地に迎えよ」とのお告げに従い、昭和22年、内藤才丘有縁である市場にて大師をお迎えすることになった。昭和22年(1947)、立木多満が大師像を瑞巌寺から、本尊を美濃国分寺から迎え、現在の本堂は昭和33年(1958)に完成、翌年に入仏された。