推古天皇元年(593)聖徳太子の創建と伝えられています。壬申の乱では大海人皇子が勝利祈願を住職に命じ、戦勝後天皇が大友皇子の冥福を祈り、宝物を寄進されたという古刹である。境内には応仁の乱のときに土岐成頼の元に亡命した足利義視の居所であったとされる場所がある。この寺のある山は岡山という名であったが、関ヶ原の合戦で徳川家康が本陣を置いたことから、後に家康より戦勝を祝い勝山との名を賜わり、寺には三つ葉の葵の御紋を許されたそうです。また、この寺の梵鐘は、合戦時西軍の大谷吉継が陣中の兵士を鼓舞したり合図に使ったりするために、藩州から持参したもので、家康が戦利品として当寺に寄進したものである。