せいすいじ
長野県長野市若穂保科1949
天平14年(742)、僧行基が自ら刻んだ三体の千手観音の一体をこの地に安置したのが始まりと寺伝にあり、延暦20年(801)、坂上田村麻呂が蝦夷平定を祈願し、その成就に感謝して伽藍を建立したと伝えられ..
天平14年(742)、僧行基が自ら刻んだ三体の千手観音の一体をこの地に安置したのが始まりと寺伝にあり、延暦20年(801)、坂上田村麻呂が蝦夷平定を祈願し、その成就に感謝して伽藍を建立したと伝えられる。足利時代には八代将軍義政の篤い帰衣を受け、三十塔をはじめとする三十余の同塔を連ねた一大霊場をなした。その後、数度にわたって火災に遭い、中でも大正五年(1916)五月の保科大火では、周囲の寺叢もろとも一山の伽藍を消失。奈良の石井寺より二十数体の仏像を迎えて再建した。
阿弥陀山
真言宗
智山派
千住観世音菩薩
坂上田村麻呂
信濃三十三観音霊場 十六番
無し
有り
あり