ひえじんじゃ
福島県福島市宮代字鍛治畑40
社伝によると永承年間(1046~1052年)、源頼義が奥州平定の際、当地に鎮守府を設け近江国日枝山の神を奉斎。その後、康平五年(1062年)に源義家が社殿を造営し国家鎮護を祈願したのがはじまり。 ..
社伝によると永承年間(1046~1052年)、源頼義が奥州平定の際、当地に鎮守府を設け近江国日枝山の神を奉斎。その後、康平五年(1062年)に源義家が社殿を造営し国家鎮護を祈願したのがはじまり。 さらに乾元年間(1302~1303年)に源頼明、天正年間(1573~1593年)には領主・瀬上筑後守より代々社宇を改修されるなど尊崇を受けた。 また、このほか南北朝時代に陸奥守・北畠顕家卿が霊山に国府を遷した際、社田を寄進した。 文化元年(1804年)、領主・木下肥後守ならびに宮代・瀬上・下飯坂の三ヶ村により壮麗な社殿が造営。藩の祈願所とした。 しかしこの時建立された社殿は明治三十七年に炎上、翌年の明治三十八年に氏子らにより再建された。 旧余目郷二十五ヶ村の総鎮守であり、信達三山王の一社として尊崇される。 五月に行われる当社の例大祭は「宮代山王祭」と称され、昭和三十一年に『福島県十大祭』に選定された。
「宮代の山王様」として、地元から崇敬されており、毎年5月1日には祭礼が執り行われております。
大山咋神 大己貴命 少彦名神
郷社
康平五年(1062年)
5月1日
JR東北本線、東福島駅から徒歩約10分
有り