むなかたじんじゃ
埼玉県大里郡寄居町藤田299ー2
口伝によれば、人皇第42代文武天皇の大宝元年(701年)、荒川の氾濫を鎮め、船や筏の交通を護るため、宗像大社の御分霊を遷し奉ったと云われています。 西暦800年代半ばから明治に至まで宗像神社の名は歴..
口伝によれば、人皇第42代文武天皇の大宝元年(701年)、荒川の氾濫を鎮め、船や筏の交通を護るため、宗像大社の御分霊を遷し奉ったと云われています。 西暦800年代半ばから明治に至まで宗像神社の名は歴史から消え、聖天宮の下社として信仰されてきました。 神社境内には神池があり、弁天池と呼ばれています。神池の中に島があり、厳島神社が祀られています。現在は御祭神は宗像神社と同じですが、江戸時代までは弁天社としてのお参りが絶えなかったと伝えられています。 主祭神の狭依毘賣命様は、又の御名を市寸島比売命と申し上げ、弁財天と同神と考えられていることによります。(埼玉県神社庁HP)