こうだいじんじゃ
埼玉県児玉郡上里町長浜494
当社はかつて「神明社」と呼ばれていたが、江戸幕府によって編纂された『新編武蔵風土記稿』の長浜村の項に「神明社、村の鎮守とす、村人持」と記載されるとともに、「今城青八坂稲見神社、相伝えて延喜式神名帳に..
当社はかつて「神明社」と呼ばれていたが、江戸幕府によって編纂された『新編武蔵風土記稿』の長浜村の項に「神明社、村の鎮守とす、村人持」と記載されるとともに、「今城青八坂稲見神社、相伝えて延喜式神名帳に載たる古社なりと云、(中略)今は僅なる小社となりて村民の持なり」と記されている。これをもって、927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵國 賀美郡 今城青坂稲実神社(いまきあおさかいなみいけのうえ~) 小」の論社の一つとなっているが、論社は他にも5社ある。明治時代に入り、当社は「神明社」から「皇大神社」に改称するも、近隣の長幡部(ながはたべ)神社に移転、境内社として祀られたが、昭和戦後の1947年に、当社氏子の希望により、元の地の旧社殿に遷された。
武蔵国賀美郡4座のうち、式内社(小)「今城青八坂稲實神社」の論社とされる。同式内社と伝わる稲荷社が当地に祀られていたが、いつの頃か長幡部神社に合祀されたという。また、同「今木青坂稲實荒御魂神社」、同「今城青坂稲實池上神社」の論社ともされる。
大日女貴命(おおひるめむちのみこと)
式内社(小)論社、元村社(→無格社)
神明社