いそさきじんじゃ
山口県防府市田島705
江戸時代の享保2年(1717年)、厚狭の給領主毛利就久が、田島地区に開作地を拝領して開拓を行う。 しかしながら、堤防がしばしば決潰して開拓がなかなか成就しなかった。 そのため、同18年(1733..
江戸時代の享保2年(1717年)、厚狭の給領主毛利就久が、田島地区に開作地を拝領して開拓を行う。 しかしながら、堤防がしばしば決潰して開拓がなかなか成就しなかった。 そのため、同18年(1733年に)、安芸国宮島より厳島神社の分霊を勧請し、田島中野開作の鎮守として奉祀した。 それでも決潰は止まず、遂に開作地を藩府へ上地した。 この後藩府により開作地は完成し、天保14年(1843年)、地区民により牟礼村の田尾荒神社の分霊を勧請して配祀した。 明治6年(1873年)村社に列する。