とよみつじんじゃ
滋賀県愛知郡愛荘町豊満392
「豊満神社(とよみつじんじゃ)」は日本一の湖、琵琶湖の東側、滋賀県愛知郡愛荘町豊満に鎮座する神社です。 御祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)、足仲彦命(たらしなかひこのみこと・・・仲哀天皇)、..
「豊満神社(とよみつじんじゃ)」は日本一の湖、琵琶湖の東側、滋賀県愛知郡愛荘町豊満に鎮座する神社です。 御祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)、足仲彦命(たらしなかひこのみこと・・・仲哀天皇)、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと・・・神功皇后)、譽田別命(ほむたわけのみこと・・・応神天皇)の四柱です。 詳しい創祀年代は不明ですが、康暦元年(西暦1378年)に鋳造された神鐘銘文に「愛知郡崇廟豊満大社云々・・・」とあることから古来よりこの地、大国荘(旧愛智郡)の産土神(氏神)であったことがわかり、現在も愛荘町内や東近江市・彦根市の一部に合わせて(16地域)約1,000戸あまりの氏子があります。また古くより、皇室の篤い崇敬を受けていたことが伝えられております。 そして有名な三韓征伐の折に神功皇后の一軍がこの辺りの竹竿で軍旗を作り、戦場に持参して勝利を収めたという伝説から、当神社の竹を旗竿に用いたならば必ず戦勝するとして源頼朝や豊臣秀次、佐々木・京極・六角氏など多くの武将がこの竹を好んで求めたり、また戦勝祈願をしたことにより勝運の「旗神さま」として世に知られるようになりました。 江戸時代には時の彦根城主 井伊氏などが代々、当神社で厄除の祈願をしたことから「厄除の神」としても繁栄したようです。 その後、御祭神に大国主命が加わり「縁結びの神」としても崇敬を集めるようになりました。 戦乱の頃には、境内の一部が織田信長の兵火によって焼失するなど幾たびの火災や災害にもみまわれましたが、明治元年(1868年)に豊満大明神から現在の豊満神社に名を改め同9年(1876年)に村社に列し、同14年(1881年)には郷社に、そして昭和5年(1930年)には県社に昇格しました。また元享3年(1323年・鎌倉時代後期)建立の正門(『四脚門(しきゃくもん)』)が、明治35年(1902年)に国の特別保護建造物に加えられた後、昭和25年(1950年)には国指定の重要文化財に指定されました。 また近年は「豊満」という名前から女性の容姿(スタイル)向上や美人祈願、そして金運等にも御利益があるとして、全国各地からたくさんの方々にお参り頂いております。
大国主命 足仲彦命(仲哀天皇) 息長足姫命(神功皇后) 譽田別命(応神天皇)
有り