はやおさはちまんぐう
山口県光市室積3丁目
室町時代の文安元年(一四四四)、当社は豊前国宇佐八幡宮より御勧請したが、その御船が早長の浦(現町名西之浜)に無事御着船。よって、早長八幡宮と称し奉る。当初は普賢山の御立山へ奉祀せし後、江戸時代の寛文..
室町時代の文安元年(一四四四)、当社は豊前国宇佐八幡宮より御勧請したが、その御船が早長の浦(現町名西之浜)に無事御着船。よって、早長八幡宮と称し奉る。当初は普賢山の御立山へ奉祀せし後、江戸時代の寛文元年(一六六一)に現在地へ御遷座。享保十四年(一七二九)、神祗官代より神位正一位を授けられ、そのとき宣命とそれを入れた唐櫃、及び正一位早長八幡宮の御額を賜わったという。旧藩政時代には、代官所より毎年例祭の踊車神楽料として「修補銀参百匁」が下与され、また六月の漁祭には、銀子六〇匁が献納されたという。藩主毛利氏は、当社の為に社領一石を裁許する。明治六年(一八七三)郷社に列し、明治三十九年(一九〇六)には神饌幣帛料供進社指定を受ける。頭の由来について、寛保元年(一七四一)には既に「頭の神事記録」があるが、起源は不詳である。頭は九つあり、これを「九頭」と云う。即ち、田面頭・御祓頭・年頭・早長頭・山上頭・西宮頭・佐茂久頭・彼岸頭・猿楽頭の九名。このうち田面・御祓・年頭を大頭、他を小頭と総称する。神社にて頭が決められると、頭名と氏名を記した短冊を榊につけて授与し、当年の頭として例祭に参加する。頭は定められた規則に従って、家筋と地区の中から毎年指名されて来た。しかし、大正元年(一九一二)より、町内会長の意見やみくじによって撰ばれることも、一部で行われるようになった。例祭には、九頭にそれぞれ御幣を渡し、神幸輿の前に幣を捧持して先供に着くのである。
(主祭神)応神天皇 神功皇后 三女神(田心姫命・市杵島姫命・多岐都姫命)
例祭(十月第一日曜日)、祈年祭(四月第一子の日)、新嘗祭(十二月第一日曜日)
有り