うずいはらじんじゃ
和歌山県和歌山市宇須2丁目1番17号
宇須西の坪に所在(旧住居表示 和歌山市宇須359番地)。 元、井原神社と称せしを宇須神社との合併により、明治41年8月10日許可を受け宇須井原神社と改称した。 合併前の井原神社 江戸時代の慶安..
宇須西の坪に所在(旧住居表示 和歌山市宇須359番地)。 元、井原神社と称せしを宇須神社との合併により、明治41年8月10日許可を受け宇須井原神社と改称した。 合併前の井原神社 江戸時代の慶安元(1648 三代将軍徳川家光の頃)年、若州(今の福井県)井原郷の人が宇須西の坪(現在地の和歌山市宇須二丁目1番17号)に井原神社を創建、ゆえにこの地を井原町という。 明治6(1873)年4月村社に列し、井原神社と称する。 古来より疱瘡の神として信仰が厚い。 他に、徳川吉宗の生母(お由利の方)の父 井原正寅が建立し、吉宗のひいては徳川家の安泰を祈ったともあり、吉宗が疱瘡にかかった時、平癒祈願がおこなわれたともいわれている。 合併前の宇須神社(和歌山市宇須権現坪に所在した) 創立年間不詳、宇須彦神この地に鎮座、よってこの地を宇須という。 六十七代三条天皇の勅願により、長和2(1013)年熊野三所権現を此の地へ勧請し、以降朝庭宝祚(あまつひつぎ)擁護の霊神とした。 往昔社殿壮麗であったが天正年間に兵災にかかり慶長2(1597)年6月13日再建。 宇須権現と称したが、明治維新後、権現の称を廃して宇須神社といい、明治6(1873)年4月村社に列せらる。 この地の始祖である宇須彦神は神武天皇御東征のみぎり水先案内をした故事がある。 宇須 雑賀川畔の地、往昔は南の塩屋にかけて、この辺一面の海であつたが後に入江の海水が南に退き一条の雑賀川となった。 宇須(宇津とも書く)の名も宇治すなわち内の意味で、海水等が外にありその内にあると説くものがある。(和歌山県神社庁HP)