なにわくまのじんじゃ
兵庫県尼崎市西難波町5-9-22
天平年中(729~748)行基僧正が聖武天皇の勅命により摂津の国内に数箇所の熊野神社を再興し其の第一の社とされ、其の本宮は和歌山県紀伊国本宮村鎮座熊野座神社と称せられ古来霊験最も著しとせられ皇室の崇..
天平年中(729~748)行基僧正が聖武天皇の勅命により摂津の国内に数箇所の熊野神社を再興し其の第一の社とされ、其の本宮は和歌山県紀伊国本宮村鎮座熊野座神社と称せられ古来霊験最も著しとせられ皇室の崇敬参詣、又庶民これを做ひ争ふて参詣し所謂蟻の熊野詣の語を産んだ。その路々には高貴の人々にては凡そ一ケ月にも及ぶ程行程であった。その御道には要所要所に多くの熊野神社を祭ったこれが皆臨幸の際の御休所なりしと伝へられる。この尼崎市難波の熊野神社は旅中の一休所の第一の社であったと伝へられる。
熊野の神は妄語の罪を駛し、政禁の穢を糾すとて烏の舊稱を出すを、民間これに依って正邪を糾すと伝えられ今も烏の巣があり多くの烏がいる。尚、当社は大東亜戦争により戦災を被り社殿其の他全部破壊され、現在社殿及諸建造物は終戦後に御復興御造営されたものである。以て当神社の由来は相当古き時代より祭祀されたものと推知し得るものなり。
明治6年(1873)村社に列せらる。(兵庫県神社庁HP)
伊奘冊尊
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有り