みのしまじんじゃ
和歌山県有田市箕島117
ここ箕嶋神社は、古来より烏の杜と呼ばれ、当初は水主神社と称していました が、牛頭天皇、祇園社、と名称が変わり、明治三年より箕嶋神社と称するに至っています。 元仁元年(1224年)、この地方(古くは..
ここ箕嶋神社は、古来より烏の杜と呼ばれ、当初は水主神社と称していました が、牛頭天皇、祇園社、と名称が変わり、明治三年より箕嶋神社と称するに至っています。 元仁元年(1224年)、この地方(古くは宮崎荘箕島村と呼ばれていた)の領主である宮崎出羽守が祇園社(現、箕嶋神社)に神領三十石を寄進し、天文四年(1535年)、宮崎城主藤原定茲(宮崎雲秀)が改めて造営しました。「紀伊続風土記」には、「旧はわずかの小社なりしが、天文四年、宮崎城主宮崎雲秀が改めて造営す」と記されています。 また、古くは有田川下流北側に位置する箕島、港町も立神社を産土神としましたが、諸村と争論があったため、立神社から独立し、箕島を含めた有田川下流北側の地域の産土神社となりました。 (神社HPより)