たまがわじんじゃ
東京都羽村市羽中4丁目1番16号
寿永(じゅえい)年間[一一八二~八五]武蔵国の武将畠山重忠公の一族が、 古く神功皇后(じんぐうこうごう)の三韓(さんかん)征伐や、 坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)将軍の東夷平定に神助ありと伝え..
寿永(じゅえい)年間[一一八二~八五]武蔵国の武将畠山重忠公の一族が、 古く神功皇后(じんぐうこうごう)の三韓(さんかん)征伐や、 坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)将軍の東夷平定に神助ありと伝えられ、 東関第一の軍神(いくさがみ)、武士の守護神として尊ばれていた信州諏訪大社より 勧請(かんじょう)したと伝えられている。 もと諏訪宮(すわのみや)、諏訪大明神、多摩大明神とも称した。 天保(てんぽう)年間[一八三〇~四四]に社家が火災のため、社史の詳細は不明である。 明治二年、諏訪神社と改め、同十五年三月、根岸地区の日枝(ひえ)神社を合祀して、 玉川神社と改称した。このように、創建の当時かた、諏訪信仰に基づいた社であるが、 全国に一万有余社を数えるお諏訪さまは、幅広い信仰を有し、御神徳の数々、 また古くからある信仰には、雨や風を司る竜神(りゅうじん)の信仰や、 水や風に直接関係のある農業の守護神としての信仰が著名である。 また、境内には明治十年代に羽村小学校が建設され、羽村市の学校教育発祥地としても 記念されるべき場所である。 (HPより)