おおたらしひめはちまんぐう
山口県柳井市日積大里
奈良時代の天平宝字二年(七五八)、宇佐八幡宮より勧請する。往古神領七百貫文と伝え、氏子境の証文に東は広島境大竹川、南は八代島、西は椿ケ峠に亘る地域が氏子であったと伝える。日積宮また日積大元宮とも奉称..
奈良時代の天平宝字二年(七五八)、宇佐八幡宮より勧請する。往古神領七百貫文と伝え、氏子境の証文に東は広島境大竹川、南は八代島、西は椿ケ峠に亘る地域が氏子であったと伝える。日積宮また日積大元宮とも奉称する。戦国時代以降(一四七七~)、領主・藩主の崇敬が篤く、毛利元就公は「社領一二石二斗二升七合」を寄進し、岩国藩領内二八社祈願所の一社である。藩主吉川広家公以来数度の社殿の造改築や、御供田・鞍・鐙等の寄進があった。明治六年(一八七三)郷社に列する。
(主祭神)誉田別天皇 足仲彦天皇 気長足姫命(配祀神)大国主神
例祭(十月十五日)、夏祭(七月十五日)、風鎮祭(九月一日)、新嘗祭(十二月二十日)
有り