やくもしゃ
兵庫県三木市久留美1840
創立年月は詳らかではありませんが、今から約千五百年ほど前、億計王(後の仁賢天皇)弘計王(後の顕宗天皇)がこの地にお忍びの際、久留美皇子ヶ谷の当神社に祈られたと伝えられています。 御祭神は素盞鳴尊を..
創立年月は詳らかではありませんが、今から約千五百年ほど前、億計王(後の仁賢天皇)弘計王(後の顕宗天皇)がこの地にお忍びの際、久留美皇子ヶ谷の当神社に祈られたと伝えられています。 御祭神は素盞鳴尊を主祭神に、五男神、三女神の神々を御奉斎し、古く久留美の庄の東北(うしとら)の方角の守護神(方除神)として祀られたとされています。 因みに久留美の庄の区域は、久留美配分坂より平井の笠松、宿原の境松、広野、小林の境松、南は広谷川を境として小林、興治の境松、東這田、高木の境松、加佐、平田の境松、久留美皇垣内に至る区域を久留美の庄と定めたとあります。(現在の三木市街地全域)延元二年(紀元一九九七年)に皇子ヶ谷より現在の地に遷座せられ久留美、与呂木、平井、跡部の地区の産土神として尊崇せられております。 天正六年、豊臣秀吉が三木城主別所長治を攻むるに際し当社に祈り、落城後報賽のため五色の幣及び白旗を奉納し、御供田を寄進せられました。
延元2年(1337)、皇子谷より宮の西に遷座。社殿この年に創立。 天正6年(1578)、豊臣秀吉三木城攻めるおり、当社に祈願す。城落後、奉賽の為、五色の幣及び、白旗奉納す。あわせ田地寄進。文政8年(1825)、落雷の為、社殿・古文書...
主祭神 素戔嗚尊 配祀神 正勝吾勝勝速日天穂耳命、活津彦根命 熊野久須毘命、 天之菩卑能命、天津日子根命 多紀理毘賣命、市寸島比賣命、多岐都比賣命(宗像三女伸)
郷社
延元2年(1337)
三間社流造
10月10日
有り(15台)