ふじやまいなりじんじゃ
長野県飯田市浜井町3363
社伝によると慶弔6年(1601年)2月、小笠原兵部太夫秀政公が飯田5万石に封じられた際、飯田城に鬼門にあたる破魔射場(はまいば)[現浜井場]の冨士山に飯田伊那谷の鎮護神として先祖以来崇拝する稲荷大神..
社伝によると慶弔6年(1601年)2月、小笠原兵部太夫秀政公が飯田5万石に封じられた際、飯田城に鬼門にあたる破魔射場(はまいば)[現浜井場]の冨士山に飯田伊那谷の鎮護神として先祖以来崇拝する稲荷大神を祀ったのが始まりとされる。後、慶弔18年(1613年)10月、秀政公は松本城主8万石に移封されたので当社は「出世稲荷」と呼ばれるようになった。 当社の例祭の宵祭は「むぎわら祭り」として知られ、古くは周辺の農家が麦の松明を焼いて害虫駆除、豊作、開運、招福、災難除を祈った。現在では盛大な奉納花火が催され飯田の夏祭りのさきがけとして祭りに華を添える。 飯田、伊那谷を始め県内外から尊崇を集める当社は「ふじやまさま」の尊称で広く親しまれている。
慶長6年(1601)2月、小笠原兵部太夫秀政が飯田5万石に封じられた際、飯田城の鬼門にあたる破魔射場(現在の浜井場)の藤山(ふじやま)に、災難除の意味も込め、崇敬する稲荷大神を祀ったのが始まりです。
倉稲魂大神(うがのみたまのおおかみ) 神大市比売大神(かむおおいちひめのおおかみ) 豊受大神(とようけのおおかみ)
慶長6年(1601)
信濃國十四社
7月8日
JR飯田線 伊那上郷駅より徒歩10分 中央高速 飯田ICから15分から20分
無料
あり