かしまじんじゃ
茨城県常陸大宮市下桧沢3621
文永年中(1264年~1274年)の佐竹時代、佐竹藩第7代藩主佐竹義胤公が十二所八幡明神として建立したと言われるが、年代不詳。その後、永正11年(1514年)2月社村16代藩主佐竹義舜公が八幡明神と..
文永年中(1264年~1274年)の佐竹時代、佐竹藩第7代藩主佐竹義胤公が十二所八幡明神として建立したと言われるが、年代不詳。その後、永正11年(1514年)2月社村16代藩主佐竹義舜公が八幡明神として再興し、佐竹一門の崇敬する神社となる。現在ある本殿はこの時に建立されたものである。 時代が下って、徳川の時代となり水戸藩2代藩主徳川光圀公が社寺改革を断行し神社名を鹿嶋明神と改め御祭神を武甕槌大神とするように命じられる。時に元禄4年(1691年)のことである。この時光圀は御神鏡一面を奉納され、この神鏡をこの神社のご神体とするよう命ぜられ、この時を以て鹿嶋神社となる。尚、奉納された神鏡の裏面には「下檜沢村鎮守」と金文字で彫られている。
武甕槌大神
旧村社