とくがわとうしょうぐう
群馬県太田市徳川町387
天正19年(1591)生田家16代当主・義豊は、武州川越で家康公に拝謁した際、「新田徳川系図」の提出と、「生田」から「正田」への改姓を命じられたという。同じ年の11月、家康から徳川郷への御朱印300..
天正19年(1591)生田家16代当主・義豊は、武州川越で家康公に拝謁した際、「新田徳川系図」の提出と、「生田」から「正田」への改姓を命じられたという。同じ年の11月、家康から徳川郷への御朱印300石と、徳川氏遠祖の屋敷跡を正田家(生田家)が所持することを許可され、後に正田家の邸内に東照宮が建立され、祭祀は正田家が執り行っていたようです。明治の世になり、東照宮 の社地が徳川郷に寄進され、明治40年(1907)に徳川郷内の4つの神社が東照宮に合祀され、現在のかたちになったといわれています。