せみまるじんじゃ
鳥取県米子市博労町3
米子がまだ砂浜の中にある寒村だった頃(平安時代?)、深編笠を被って楽器の琵琶を背負った盲人が息を切らせながらやってきて砂浜に倒れ込んでしまい、そこに通りかかった村人が様子を尋ねると その盲人は、「私..
米子がまだ砂浜の中にある寒村だった頃(平安時代?)、深編笠を被って楽器の琵琶を背負った盲人が息を切らせながらやってきて砂浜に倒れ込んでしまい、そこに通りかかった村人が様子を尋ねると その盲人は、「私は目が不自由な上に不治の病に冒されている。病を治すために全国の神仏を拝んで行脚してきたが、どうやらここで終わりそうだ。もし私が死んだらここに祠を建てて欲しい。そうしてくれるなら私が病に苦しんだ分、村人が病にならぬように守ろう」、と言って息絶えてしまったそうです。その後、盲人の持ち物から歌人の蝉丸であると解ったので、村人は遺言どおりに祠を建てたとされ、それが今の蝉丸神社となったとされています。
蝉丸(平安前期の歌人)
隣地に駐車可能スペースあり
なし