そんたいじ
山梨県甲府市城東1丁目13−17
功徳山天尊躰寺は、大永元(1521)年に武田信玄公の父・武田信虎が忠連社弁誉上人に深く帰依し、武田家の古跡に一宇の精舎を建立し真向三尊を本尊とし、弁誉上人を開山として創建された寺です。天文2(153..
功徳山天尊躰寺は、大永元(1521)年に武田信玄公の父・武田信虎が忠連社弁誉上人に深く帰依し、武田家の古跡に一宇の精舎を建立し真向三尊を本尊とし、弁誉上人を開山として創建された寺です。天文2(1533)年、後奈良帝より深草院功徳山天尊躰寺の勅額を賜ったことから現在でも天尊躰寺と号しています。大永元年は信虎夫人(大井夫人)が積翠寺において勝千代、のちの武田信玄公を出産した年です。当時は元柳町(現・武田三丁目)付近にあり、寺内五千余坪を擁し、隆昌を極めていましたが、武田氏滅亡後変わって甲州を領した徳川氏の甲府城築城に伴い、文禄・慶長(1592~1614)、それまで躑躅ヶ崎の館を中心に配置されていた寺社ともに現在の地に移転し、甲府浄土5ヶ寺の一つに数えられてきました。
功徳山
深草院
浄土宗
甲斐百八霊場五十五番
有り