おおぼしじんじゃ
青森県青森市問屋町1丁目18-28
この神社は、青森市の南5km程の辺り、103号線に面して一の鳥居が立っております。神社はそこから、600m程西に鎮座しております。
御祭神 天之御中主神 (左方) 磐裂神、根裂神、素戔雄神 ..
御祭神 天之御中主神 (左方) 磐裂神、根裂神、素戔雄神 (右方) 経津主神、武甕槌神、神倭磐余彦神、日本武神 例祭日 旧六月十五日
由緒 延暦十一年蝦夷鎮護の祈願所として草創され、同二十年坂上田村麻呂将軍東夷征討の時、本社殿を再興して妙見宮と称して天之御中主神を祭ると言い伝えられる。又津軽藩の成立により外ケ浜の古社として初代藩主津軽為信公の当社再建、二代藩主信牧公の祈願等歴代藩主の社殿修復参拝をたまわり、四代藩主信政公は社殿の再建並びに庭園を築き、桜樹を移植して境内を整備し神聖を計り、九代藩主寧親公は由緒深き本社の御神事を盛んならしめんと壮麗なる本殿を構築し、御神器諸物、御真筆の社号の額を奉納。国家安泰を祈願され、本社を津軽藩の大社に列し社禄を与える等、藩中に重きを成すのみでなく一般民衆に厚く尊栄せられ、大祭及新年旧正月十五日には遠近の村落よりの参詣人で賑わう。明治初年廃藩置県と共に社禄及び一切の出費廃止となり、明治三年迄妙見宮と称するが、同年神仏分離令により大星神社と改称し、同六年郷社に列せられる。
延暦11(792)年に蝦夷鎮護の祈願所として創設され、同20年に坂上田村麻呂が本殿を再興したと伝えられている。津軽藩初代藩主・津軽為信が再建、歴代藩主も社殿修復参拝するなど、藩が特に重要視したといわれる。江戸時代中期に編さんされた津軽...
天之御中主神
郷社
延暦11年(792)
妙見宮、妙見堂北斗寺
歳旦祭 1月1日
焼納祭 1月7日
祈年祭 5月上旬
例大祭 7月下旬
新嘗祭 11月下旬
春祈祷 12月18日
舞楽面(鬼面)
青森駅より市バス第二問屋町行きで『妙見』下車、徒歩8分 青森自動車道『青森中央IC』より車で7分
有り