こうじゅいん
埼玉県秩父郡小鹿野町飯田2439-2
- たらちね観音 縁起 - 1967年(昭和42年)、曹洞宗管長 高階瓏仙(たかしなろうせん)禅師に仏門得度を受けた開祖 手嶋了凰(てしまりょうこう)大和尚は、1968年(昭和43年)に四国霊..
- たらちね観音 縁起 - 1967年(昭和42年)、曹洞宗管長 高階瓏仙(たかしなろうせん)禅師に仏門得度を受けた開祖 手嶋了凰(てしまりょうこう)大和尚は、1968年(昭和43年)に四国霊場52番太山寺にて、弘法大師の霊感力を得た後、ロウソクの観音像を珠厨子に安置した光珠観世音菩薩を本尊とし、東京調布の深大寺町仮寓において光珠院を開山しました。 1974年(昭和49年)、秩父観音霊場の札所31番の遍路道中、弘法大師所縁の寺院跡である埼玉県秩父郡小鹿野町飯田(通称:秩父岩殿沢)の地に導かれ、光珠院修行堂を建立しました。 1980年(昭和55年)、天台管領 叡南覚照(えなみかくしょう)大阿闍梨の入門得度を受けて天台修験道の門弟となった了凰大和尚は、仏師 森大造(もりたいぞう)師にたらちね観音像の製作を依頼。1981年(昭和56年)には光珠院本堂を建立落慶し、たらちね観音像を安置しました。その後、結願大師堂、神変嶽ほか各堂宇を建立し、地元では『たらちねさん』として親しまれています。 了凰大和尚は、幼い我が子を亡くした経験から、子を持つ母親の悲願と祈りを込めて、入寂の間際まで命の尊厳を唱え続けました。 ー令和3年(2021年)3月1日寂 行年93歳ー
西晃山
光珠院
有り