こうふくじんじゃ
宮崎県日向市本町10-20
社伝によれば、富高陣屋の鎮守稲荷社と称し、江戸時代の安永五年正月京都伏見の正一位稲荷五社大明神の御分霊を、当時伏見稲荷神社の宮司羽倉摂津守より許可を得て勧請し、お祀りしたものと伝える。当社が勧請され..
社伝によれば、富高陣屋の鎮守稲荷社と称し、江戸時代の安永五年正月京都伏見の正一位稲荷五社大明神の御分霊を、当時伏見稲荷神社の宮司羽倉摂津守より許可を得て勧請し、お祀りしたものと伝える。当社が勧請されたときの日田の代官は揖斐十太夫であり、富高陣屋が設置されたのは元文二年(1737)であった。『日向地誌』に「幸福(みしやち)神社富高村ノ中央ニアリ社地広凡五畝、例祭ハ旧暦二月上午ナリシ明治六年以来ハ一定セ」とあるが、明治元年に天満社その他を合祀し幸福神社と称した。陣屋の記録には、「陣屋鎮守稲荷社毎年二月初午日立、臼杵郡之村塩見村、平岩村に限り臼太鼓ろ唱え百姓等、老人若きもの打込み十四五人より二十人余り、連腰に袰を当て、笠をかぶり、前に太鼓を下げ、又は鉦をたたき旗を持つもあり。稲荷社の前に於て老人の音頭に鉦太鼓の拍子を揃え、飛廻り色々手振所作振珍敷五穀祭の奉納古風なり。」と記されている。 神社の境内には樹齢百数年といわれる珍しい夫婦楠がそびえ、また社殿前には江戸末期の画家で明治初年より二十数年間同社の神職を務めた大講義片岡米山翁の碑もたっている。
宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと) 大国主命(おおくにぬしのみこと) 事代主命(ことしろぬしのみこと) 岩長姫命(ひわながひめのみこと) 菅原道真公(すがわらみちざねこう)
安永五年(1776)
本殿(流造)4坪 拝殿(流造)14坪
四月十五日
JR日向市駅より車で約5分