ふるかわじんじゃ
宮城県大崎市古川諏訪2-6-55
当社は、大崎市の中央に鎮座し大正二年県の認可を得て鹿島神 社・諏訪神社・諸神社を大正三年二月十一日紀元節(現建国記念 の日)に合祀して古川神社と改称鎮座された。はじめの鎮座地は 大崎市古川本鹿島囲と..
当社は、大崎市の中央に鎮座し大正二年県の認可を得て鹿島神 社・諏訪神社・諸神社を大正三年二月十一日紀元節(現建国記念 の日)に合祀して古川神社と改称鎮座された。はじめの鎮座地は 大崎市古川本鹿島囲と称されるところで寛永年間には古川七日 町に遷宮されたが、あまりにも人家が近く神威の穢れるのをきづ かい現在の鎮座地となった。
鹿島神社は、由緒も古く五十代桓武天皇の延暦二十年(西暦八 〇一年) 長月に征夷大将軍坂上田村麻呂東征に際し常陸の国、鹿 島神宮に祈願し凱旋の途中その神徳の著しさに感激して、兵馬を 休め凱旋の式典を行う所に社殿を創建した。古川、稲葉、大柿三 村などを中心とする古川の鎮守神として本社の御分霊を勧請し 古社で、六国史(日本三大実録)に記載する所の鹿島大神の苗 神陸奥国三十八社の一社である。また坂上田村麻呂の守護神で、 東征に際し奉持された国平定の神大国主神(神像)も合祀し田村 麻呂着帯の兜鎧を記念として当社に奉納し、後に武徳を後世に伝 えんが為境内地に埋め兜明神・鎧明神社を末社として勧請した。 大同年間には鎮守府将軍大野東人末孫当地の境内に一寺を建立 古川寺として当社の別当となる。
諏訪神社は、古川城主の守護神として勧請されたと伝えられ、 合祀改称後も、お諏訪さんの愛称で親しまれ、古川神社例大祭と 別に諏訪神社奉賛会が、年に一度例大祭を斎行し崇敬されている。
当社は大正3年に在来の鹿島神社、諏訪神社、諸神社を合祀して、古川神社と改称した。鹿島神社は延暦20年(801)坂上田村麻呂により常陸国鹿島神宮から勧請された。諏訪神社は古川城主の守神であった。
武甕槌神(たけみかづちのかみ) 大国主神(おおくにぬしのかみ) 建御名方神(たけみなかたのかみ)
旧村社
1914年(大正3年)