せきやまじんじゃ
新潟県妙高市関山4804
関山神社は往古妙高山関山三社大権現と称し、遠く人皇第43代元明天皇の御宇和銅元年裸形上人の開基にして其の奥院たる妙高山頂には三尊阿弥陀如来を奉祀し、麓の関山には別記三神を観請せり、後人皇第52代嵯峨..
関山神社は往古妙高山関山三社大権現と称し、遠く人皇第43代元明天皇の御宇和銅元年裸形上人の開基にして其の奥院たる妙高山頂には三尊阿弥陀如来を奉祀し、麓の関山には別記三神を観請せり、後人皇第52代嵯峨天皇の御宇大同5年僧空海当山に登り霊験神託により朝廷に奏聞して本堂並に七堂伽藍神社僧坊七十二区を建立せりと伝う。また、当社は、木曽義仲公や殊に上杉謙信公の信仰厚く、別当宝蔵院には時折滞在せし外、出陣の度に起請文を納め戦勝を祈願せりと伝う。その後戦国乱世に社殿僧坊悉く焼亡するも徳川氏の治世となり。東叡山天海の弟子大僧都俊海(上杉謙信公の甥)により再興徳川幕府より神領百石御朱印状、金弊が下附せられ、妙高神奈茶臼不動火打の諸山迄社領であり、上越後第一の信仰の都であつた。明治維新に至り朱印地の上地を命ぜられ且神仏混合を禁ぜられたるため関山神社と改称昭和6年県社に列せらる。現在の本殿は文政元年(1818年)建立せられたるものなり。
中尊 国常立尊 聖観世音菩薩 左尊 伊弉冊尊 十一面観世音菩薩 右尊 素盞鳴尊 文珠菩薩
和銅年間(708-15)裸形上人の開基関山三社大権現と称した 大同年間(806-10)弘法大師参籠本社並七堂伽藍を造営 天正6(1578)御館の乱の戦火で焼失 明治元年10月18日関山神社と改称 明治6年3月村社 昭和6年7月13日県社
鉄道:えちごトキめき鉄道 関山駅から関・燕温泉行きバス3分、関山神社前下車すぐ目の前 徒歩の場合は関山駅から約15分 車:上信越自動車道妙高高原ICから国道18号を関山駅方面へ車で約10分
有り。